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札幌高等裁判所 昭和59年(う)109号 判決 1987年5月19日

主文

本件控訴を棄却する。

理由

本件控訴の趣意は、弁護人藤原栄二、同山中善夫共同提出の控訴趣意書及び弁護人藤原栄二提出の「控訴趣意書の誤記訂正について」と題する書面に記載されたとおりであるから(弁護人藤原栄二は、控訴趣意中の審理不尽の主張は、量刑不当の一事由として主張するものであると釈明した。)、これらを引用する。

所論は、要するに、被告人を死刑に処した原判決の量刑は重過ぎて不当である、というのである。

そこで所論にかんがみ以下順次検討する。

一まず所論は、原審は審理を尽くさず、本件をめぐる重要な問題点について十分解明しないまま被告人を極刑に処した、と論難する。すなわち、所論は、原判決は被告人に対して死刑という重罰を科したが、死刑を選択した原判示「罪となるべき事実」の中、一の事実に関し、原審においては、(一) 捜査段階において被告人の供述が変遷した理由が解明されていない、(二) 犯罪に用いたとされるクリップ型弾倉付口径〇・二二インチウエザビーマーク二二型ライフル銃(以下「本件ライフル銃」という。)が証拠に供されておらず、原判決がこれを証拠とすることができなかつたことについて合理的な説明が欠けている、(三) 本件殺人現場に遺留された弾丸、薬きようと大滝村において被告人らによつて試射されたというライフル銃の弾丸、薬きようとの異同識別等について必ずしも十分な解明がなされていない、(四) 被告人の本件殺害行為の動機ないし心理的機序について科学的、客観的解明がなされていない、(五) 被告人の本来的な意味での裁判所における供述が保障されていなかつたなどの点で審理を尽くしていない、というのである。

(一)  被告人の供述の変遷について

記録によれば、次の事実が認められる。

1  昭和五四年七月一九日午前八時ころ、原判示甲野太郎方において、同人ら原判示の一家四人がいずれも頭部等を銃で撃たれて死亡しているのが発見されたこと(以下この事件を「本件殺人事件」という。)、

2  被告人は、本件殺人事件の発生直後、警察官に事情聴取を受けた際、アリバイを主張するとともに、太郎に対する買掛金は現在残つていない旨述べたこと、また同年一〇月四日、五日太郎の長男一郎から太郎と被告人間の取引によつて生じたきつねの生皮残代金の請求を受けた際、右残代金については同年七月一四日に太郎の代理人と称して来訪した二人に支払済みである旨述べたこと、

3  乙野次郎は、昭和五五年一〇月八日、警察官に対し、昭和五四年一月、原判示大滝村の牧草地で被告人所持の本件ライフル銃を被告人とともに試射した旨供述し、同日ただちに警察官を右牧草地に案内したこと、そこで警察官が二日間にわたり同地を捜索したところ、弾丸一個及び薬きよう三個が発見され、その鑑定の結果、本件殺害現場に遺留された弾丸五個と大滝村に遺留された弾丸一個は同一銃器から発射された可能性が極めて大であり、右殺害現場に遺留された薬きよう八個と右大滝村に遺留された薬きよう三個はすべて同一の撃針で撃発されたものであることなどが判明したこと、

4  被告人は、昭和五五年一一月一五日、本件殺人事件及び大滝村で本件ライフル銃を試射した事件の容疑で通常逮捕されたこと、

5  被告人は、翌一六日の司法警察員による取調べにおいて、大滝村で乙野次郎とともに本件ライフル銃を試射し、本件殺人事件当時も本件ライフル銃を所持していたことは認めたが、本件殺人事件については自分は関係していないと否認し、同月一七日の取調べにおいては、逮捕前に主張していたアリバイは虚偽であつたとして、別のアリバイを主張したこと、

6  被告人は、同月一九日に至り、司法警察員の取調べに対し、甲野一家四人を殺害したことについて概括的にこれを認める供述をするに至つたこと、

7  同日引き続き行われた取調べにおいて、被告人は、「甲野一家を殺したことについて一部を話します。」と前置きした上で、この事件は、太郎が本件ライフル銃を見ていた時に、二郎がふざけて銃が暴発し、花子に当たつたことが発端である旨述べたが、その余のことについては、明日気持ちが落着いてから話したい旨述べ、翌二〇日の取調べにおいては、右暴発の事実を否定し、真実は太郎から買つたきつねの生皮代金百二、三十万円を支払えなかつたため、太郎を殺害する決意をし、本件ライフル銃で順次四人を狙撃した旨供述するに至つたこと、

8  狙撃の順序及び実包装てんの時期については、一一月二〇日から二四日までの間の供述と同月二九日以後の供述とに大きな変化がみられること、すなわち、

(1) 前記一一月二〇日の取調べにおいては、被告人は、太郎が手にしていた銃に手をかけるとすぐ渡してくれたので、その銃で花子、二郎の順に一回ずつ狙撃した後、実包一発を装てんして、太郎を一回狙撃し、更に実包一発を装てんして二階にあがり、春子を一回狙撃して再び階下に降り、実包二、三発を装てんして、太郎を二回狙撃し、花子、春子、二郎の順に一回ずつ狙撃した。」と供述し、同月二四日の司法警察員による取調べにおいては、「花子、二郎を各一回狙撃し、実包一発を装てんして、太郎を一回狙撃したあと、実包二、三発を装てんして二階にあがり、春子を一回狙撃して階下に戻り、太郎、花子、太郎の順で各一回狙撃し、更に実包二、三発を装てんして、春子、二郎の順に各一回狙撃した。」と供述し、同日の検察官による取調べにおいては、「太郎一家全員を射殺しようと考え、太郎から銃を奪い、花子、二郎の順に各一回狙撃し、実包一発を装てんして太郎を一回狙撃し、更に実包一発を装てんして、花子(春子の可能性もあるが、花子と思う。)を一回狙撃し、実包二、三発を装てんして二階にのぼり、春子を一回狙撃して階下に降り、太郎を一回狙撃し、更に実包二、三発を装てんして太郎をもう一回狙撃した。」と供述していること、

要するに、一一月二〇日から二四日までの間の取調べにおいては、最初が花子で、その後二郎、太郎の順に狙撃したという点について供述は一貫していたが、その後の狙撃の順序や太郎から銃を取り上げたときの状況については供述に変遷がみられること、

(2) しかしながら、一一月二九日以降においては、狙撃の順序、状況についての供述はほぼ一貫しているのであつて、被告人は、一一月二九日、一二月一日、二日の司法警察員の取調べにおいて、「太郎から銃をひつたくり、太郎、花子の順に各一回狙撃し、実包一発を装てんして二郎を一回狙撃し、更に実包一発を装てんして(この点について、一一月二九日には、はつきりした記憶がないと供述している。)二階にのぼり、春子を一回狙撃し(ただし、一二月一日の取調べにおいては、花子を狙撃した可能性も述べている。)階下に降り、実包三発を装てんして、太郎を二回狙撃し、実包三発(一二月二日の取調べにおいては三発位と供述。)を装てんして、花子を二回(一二月二日の取調べにおいては一回と供述。)狙撃し、春子、二郎の順に各一回狙撃した。」と供述し、一一月三〇日、一二月一日の両日にわたる検察官の取調べ(調書は一二月一日付の一通にまとめられている。)及び一二月四日、五日の検察官の各取調べに対してもほぼ同様の供述をしていること(ただし、第四回目の狙撃について、一二月一日付の調書第七六項では、「春子だと思うが、花子の可能性もある。」と述べ、太郎にとどめをさしたあとの実包の装てんについて、一二月一日付(第六一項)及び同月五日付(第二一項)の調書では、「二、三発」と述べ、同月四日付の調書第二七項では「三発」と述べている。)、

そこで被告人の供述が右のように変遷した理由について考えると、被告人は、検察官に対する昭和五五年一二月一日付(第七一ないし第七三項)、同月三日付(第二項)、同月五日付(第三一項)各供述調書において、「当初アリバイを主張するなどして否認していたのは、何とかして罰から逃がれたいと思つて嘘をついたのである。」旨否認した理由を説明している。

他方、証拠によれば、所論指摘のように、被告人は、本件殺人事件発生当初からその有力な容疑者として警察に行動を監視されていたのに、アリバイを立証する資料を収集することに積極的に動くことはなく、また警察の張り込みに抗議するようなこともなく推移し、昭和五五年一〇月一八日に、「大滝村で試射したときの薬きようが発見され、これは甲野一家殺害現場に遺留された薬きようと同一であり、容疑者浮かぶ。」などと報道されるに至ると、すでに逮捕を覚悟するような心境になつていたことがうかがわれるが、逮捕される前、それを覚悟し、あるいは諦観している者であつても、現実に逮捕されると、重大事件であればある程自分のみならず妻子や親兄弟のことが気にかかり、何とかして刑事責任を免れたいと焦り自己防衛的心理が働くのは無理からぬところであり、被告人が司法警察員に対する昭和五五年一二月五日付供述調書(九枚綴り)第八項において、当時の心境として述べるところは十分理解でき、何ら不合理であるとはいえない。

このように被告人は、当初、犯行を否認してみたものの、前記のとおり弾丸や薬きようが捜査官に発見され、警察の一年余に及ぶ捜査の進捗状況からいくら嘘を言い張つても通らないと観念し、取調べに当たつた警察官に醇々と諭されるに及んで、前示のように概括的な自白をするに至つたのであるが(被告人の司法警察員に対する前記供述調書第七、八項)、被告人の説明によると、いつたんは少しでも罪が軽くなることを願つて、暴発した弾丸が花子に当たつてしまつたのが発端であると供述したが、甲野一家に対し申し訳ないことをしてしまつたという償いの気持ちと真実を述べないと気持ちが休まらないという思いが募り、ついに、当初から殺意をもつて狙撃したことを自白したのであるが(検察官に対する昭和五五年一一月二四日付供述調書第四項、同年一二月五日付供述調書第三一項)、暴発した銃弾が花子に命中したのが発端であると前に述べていた行き掛かり上、狙撃の順序を花子が最初であると述べてしまい、また、犯行を否認していた当時には、犯行の動機に結びつけられることを恐れて、取調べ官が太郎の性格を悪様に言うのに同調しないでいたが、いざ自白するとなると、死者のことを悪く言うのは忍びないという気持ちが働き、殺意形成の動機を素直に供述しにくくなつた上、ともかく全員を殺したことは間違いないのだから、狙撃の順序などどうでもよいだろうと考えて適当に供述したため、花子、二郎、太郎の順で狙撃したと供述してしまつた、というのであり(司法警察員に対する昭和五五年一二月一日付供述調書第二項、同月五日付供述調書(九枚綴)第八項、検察官に対する同月一日付供述調書第七五項、同月五日付供述調書第三一項)、犯行の概略を自白した場合でも、様々な思惑から心裡が揺れ動くことは、特に本件のような重大事件を犯した者においては、あり得ることであり、被告人の右説明も納得し得るものといえる。

しかし、右のように供述したものの、狙撃の順序の点について、捜査官から、家族のうちで一番腕力があり反撃してくることが予想される太郎を差し置いて、花子から狙撃したというのは不自然ではないかとつかれた上、銃に実包を装てんして夜間他人の家を訪問したというのは最初から殺害を計画していたのではないかとも追及されたため、答弁に窮し、これらの点を正直に供述せざるを得なくなつた旨の被告人の供述(司法警察員に対する昭和五五年一二月一日付供述調書第三項、同年一二月五日付供述調書(九枚綴り)第八項)も格別不自然ではなく、このように被告人が供述を変遷させていつた推移とその理由として述べるところは十分納得し得るものであり、原審の審理過程において被告人の供述変遷が解明されていないとはいえない。

(二)  本件ライフル銃が証拠とされていないことについて

本件の審理において、被告人が甲野一家殺害に使用した本件ライフル銃が証拠に供されることが望ましいことは論を俟たない。しかしながら、関係証拠によれば、捜査官は、被告人が本件ライフル銃を洞爺湖に捨てたと供述したため、昭和五五年一一月二六日から同月三〇日にかけて四回にわたり、被告人の投棄指示地点を中心に大規模な湖底の捜索をしたがついに発見するに至らず、これを回収できなかつたことが認められるのである。

所論は、被告人が自白中で投棄したと指示する地点付近から本件ライフル銃が発見できないのに被告人の自白を極めて信用性あるものと断じる原判決の論理は矛盾しており、被告人に対して死刑を宣告する以上、凶器たる本件ライフル銃を証拠とするか、証拠としないときは少なくとも証拠とできないことの合理的な理由を説明すべきである、と主張するが、本件ライフル銃を投棄したという湖上の地点について、被告人は、警察署における取調べでは、「岸から二、三百メートル」または「岸辺から中島に向かつて約三〇〇メートル」と供述し(司法警察員に対する昭和五五年一一月一六日付及び同月一七日付(六枚綴り)各供述調書)、洞爺湖での捜索に立会つた際には、湖岸から一五五メートルの地点を指示し(司法警察員鈴木滋作成の昭和五五年一二月一日付「平取町剥製店被害一家四人殺人事件の凶器の捜索結果について」と題する捜査報告書、被告人の司法警察員に対する昭和五五年一一月二六日付供述調書第四項)、当審公判においては、「三〇〇メートル前後」と供述しているとおり、被告人自身投棄地点の記憶が必ずしも明確ではない上、仮に被告人の指示地点が当時正確なものであつたとしても(被告人の検察官に対する昭和五五年一二月三日付供述調書第一〇項、被告人の当審主任弁護人に対する供述調書第一三項)、広大な湖であり、水流や湖底の状況により、投棄から約一年もたつた後となつては、捜索も極めて困難であり、数次にわたる捜索によるも本件ライフル銃を発見できなかつたことは、まことにやむを得ないものと考えられるのであつて、本件ライフル銃が証拠に供されなかつたことは、前記の事情に徴し致し方なかつたというべきであるところ、被告人が本件殺人事件当時右ライフル銃を所持していたことについては、逮捕以来一貫して認めているところであり、これを本件殺人に用いた旨の自白は、原判決の説示する各情況証拠によつても十分裏付けられるのであるから、所論は理由がないというべきである。

(三)  現場遺留弾丸、薬きようの発射銃器の鑑定(池田鑑定)及び同弾丸、薬きようと大滝村遺留弾丸、薬きようの異同識別に関する鑑定(福田鑑定)について

(1)  池田鑑定は、原判示のとおり(原判決三一頁末行に「他田」とあるのは「池田」の誤記と認める。)、現場遺留弾丸一個及び現場遺留薬きよう八個は、クリップ型弾倉付口径〇・二二インチウエザビーマーク二二型ライフル銃によつて発射されたものと鑑定した。

池田鑑定書及び原審証人池田浩理の証言によれば、池田は、右薬きよう八個は、いずれも米国レミントン銃器会社製口径〇・二二インチロングライフル型縁打実包で、自動装てん式かボルトアクション式の同一銃器によつて発射排きようされたものであり、右弾丸は口径〇・二二インチロングライフル型縁打実包の発射弾丸であると判定した上、発射銃種の検索に移り、実体計測法及びシャトウグラフ法によつて、弾丸の綫丘痕幅、腔綫角を計測し、薬きようの底部の発射痕(撃針痕、蹴子痕、抽筒子痕)の相対位置関係を調べて、弾丸及び薬きようの両諸元値を同時に近似に満たす銃器を検討したところ、口径〇・二二インチスタームルガースタンダード型自動装てん式けん銃及び口径〇・二二インチウエザビーマーク二二型ライフル銃が抽出できたので、両銃について、銃器設計図により銃腔諸元値(池田鑑定書表第三号)、試射弾丸類の計測によりその諸元値(同表第四号、第五号)を求め、遊底頭面と発射痕の関係を調べて(同図第二号、第三号)検討した結果、本件現場遺留弾丸、薬きようの発射銃器を口径〇・二二インチウエザビーマーク二二型ライフル銃と判断し、薬きようの発射痕にリフター溝痕がないことから、クリップ弾倉付であると判断したことが認められる。

ところで、池田は、近似した銃種を検索するに当たり、CLISのコンピュータに、現場遺留弾丸の綫丘痕幅を一・〇六ミリメートルないし、一・一七ミリメートル程度として入力しているところ、所論は、右数値について、計測方法が不正確であり、実際の計測値一・一〇ミリメートルないし一・一五ミリメートル(池田鑑定書表第一号下欄など)とも異なつていると主張するが、多数の銃器の中から近似の銃器を抽出するに当たり、コンピュータに入力する数値に測定誤差を含め、やや広い幅をもたせることは事の性質上何ら差し支えないものであり、実際の計測数値と所論のように多少異なつているからといつて合理性を欠くものとはいえない。

次に所論は、対比の基準となる晃電社から送られた六〇発の腔綫角の計測数値は明らかでないと主張するが、前記池田証言によれば、池田鑑定書表第二号最下段ウエザビーマーク二二型の欄に掲げた数字が所論の計測論であると認められるので、この点の所論も理由がない。

(2)  福田鑑定は、原判示のとおり、現場遺留弾丸五個が同一の銃器から発射されたものであり、これらと大滝村遺留弾丸一個とは同一の銃器から発射された可能性が極めて大であり、また現場遺留薬きよう八個が同一の銃器で撃発されたものであり、大滝村遺留薬きよう三個も同一の銃器から撃発されたものであつて、かつ右両薬きようがすべて同一の撃針で撃発されたものである、と鑑定した。

その鑑定の手順、方法は、原判示のとおりであり、福田和夫の原審証言によれば、福田鑑定は、要するに、同一の製作図面に基づいて同一の工作機械によつて銃器を製作する場合であつても、工作の精度のばらつき、組み立て方の微妙な相違、工作機械の摩滅などによつて、各銃器ごとに個性ないし特異な箇所が生ずるので、まず実体顕微鏡によつて全体の様相を観察し大まかな類似点を確認した上、比較顕微鏡によつて発射弾丸や薬きようにつけられた痕跡を微細に観察し、固有な特徴の一致、不一致を見つけ出し、相互に比較対照して、同一銃器によつて撃発されたか否かを鑑定するものであることが認められる。

所論は、福田鑑定は、腔綫痕の計測などによる統計的手法を採用していないから、経験と勘に依存した主観的判断であり、科学的、客観的な鑑定とはいえない、と主張するが、同一の銃器によつて発射、排きようされた弾丸、薬きようであつても、実包の種類あるいは実包製作上の公差によつて、同一の痕跡を残すとは限らず、また腔綫痕が完全な形で残つていない場合もあるから測定箇所をどこに定めるかなど困難な問題も生ずるので、固有な特徴点の一致、不一致を基として発射銃器の異同識別をする方がより合理性があり、確実であると考えられ、福田鑑定が非科学的、主観的であるとはいえない。

所論は、さらに、福田鑑定は、弾丸の重量を測定して発射銃器をけん銃かライフル銃か判定していると論難するが、福田鑑定が弾丸の外形と重量から口径〇・二二インチロングライフルと判定したのは、弾丸の種類をいうのであつて、銃器の種類をいうものではないから、所論は前提を欠き、理由がない。

(四)  動機ないし行為の心理的機序について

所論は、被告人は太郎の性格を知つていたのであり、本件当日太郎から従来以上の厳しい督促と叱責を受けることを予想していたはずであつて、しかも現場が住宅密集地であり、自己所有車両を太郎方に接して駐車しており、同人方には妻子もおり、きつね生皮の買掛金債務は高々一三〇万円であつて、被告人は不良品を多く含むきつね生皮を太郎に乗ぜられて買わされた事情にもある上、当日現金で一五万円は持参し、かつ近日入金見込みもあつたのであるから、被告人の性格が心の非常に優しい思いやりのある、争い事を好まない、人の叱責にも黙つて耐えるかその場から立ち去つてしまうような性格であることをも考え合わせると、原判決が認定する犯行の動機は納得できず、原判決には、被告人の犯行当時の動機ないし心理的機序についての科学的客観的解明がされていない点において審理不尽がある、と主張する。

しかし、被告人の検察官に対する昭和五五年一二月一日付、同月四日付、同月五日付各供述調書を中心に、関係証拠を検討すると、被告人は、原判示の経緯で本件当日、太郎方を訪れるにあたり、同人の従来以上の厳しい督促を覚悟していたが、約束のライフル銃を持参すれば少しは気持ちを柔らげてくれるものと期待していたところ、案に相違して、同人が原判示のような粗暴な言動で、被告人の生活の基盤を根底から覆しかねず、かつ今にも乱暴しかねない態度を示したため、同人に対する恐怖心が募り、たまたま操作に習熟している本件ライフル銃が実包を装てんした状態で身近にあつたのに気付くや、とつさに太郎を殺害しようという衝動にかられ、同人から本件ライフル銃を奪い取り、本件犯行に及んだものと認めることができ、これと同旨の原判決の認定は正当として是認できる。

ところで、被告人の性格については、被告人は、司法警察員に対する昭和五五年一一月二四日付、同年一二月二日付(二七枚綴り)各供述調書及び検察官に対する前掲各供述調書において、見栄つ張りではつたりをきかせることがあるが、もめ事がきらいで大声には恐怖心を感じ逃げ出したくなる性格であると自己分析している。

他方、原審証人丙野夏子の証言、丁野秋子の司法警察員及び検察官に対する各供述調書によれば、被告人の別れた妻夏子や被告人の母秋子の目には、被告人は、優しい感じを与える人物で粗暴性はなく、人と争うことが嫌いで、子供のころ母の叱責に対しても口答えせず、その場から立ち去つてしまうというおとなしい子供であつたと映つていたというのである(被告人の姉である当審証人丙野冬子の証言も同旨である。)。

これらの供述を中心に関係証拠に徴すると、被告人は平生温和ではあるが、自尊心が強く、内向的、逃避的な性格傾向があることが認められるが、この点、当審鑑定人山下格作成の鑑定書によれば、被告人には精神疾患に罹患していた徴候は全く認められず、知能は正常範囲内にあり、性格にも大きな偏りは認められないというのであり、また被告人が中途から鑑定人の調査に対し拒否的態度に出たため、資料が不足であるので十分確実とはいい難いけれども、「被告人は周囲の配慮を期待する気持ちを強く持ち、疎略に扱われ怒鳴られたと感ずると口をきかなくなり、その代わりに他の方法で相手を攻撃する行動に出る傾向を示す、ということができよう。またこのような心の動きが被告人のいう「末つ子」気質と多少関連することも推測に難くない。この感情及び行動のパターンは(中略)犯行の心理的背景と全く無縁のものではあり得ない。」と分析されている。

以上のように原審で取り調べた証拠に当審における事実調べの結果を参酌して検討すると、被告人は、平生温和であるが、自尊心が強く、他人から疎略に扱われたり、叱責されたりすると、一見逃避的態度をとる傾向がみられるが、反面反発心が深く内向する傾向が見られ、本件は、右の性格傾向を有する被告人が、きつねの生皮を取引していた太郎から代金を厳しく督促され、金策に苦慮し、気持ちのうえで追い詰められた状況のもとにおいて、前叙の経緯で、とつさに太郎を殺害しようという衝動にかられ、同人に対する殺害行為に及んだものとして理解でき、またその後の花子らに対する殺害行為は、その行為の態様及びその後の行動自体に徴しても、太郎殺害の発覚をおそれる余り敢行された犯行であると認めることができ、本件のような重大犯罪を敢行した直後の犯人の心理及び行動としてあり得ないものではなく、被告人の本件一連の犯行の動機、原因等については、原審で取り調べた証拠から、刑事裁判上必要な限度においては十分解明されていると思料する。所論は理由がない。

なお弁護人は、当審弁論において、本件被告人の合目的的な意図に基づく明晰な意識下においての行動とは理解できないと主張するが、右に考察したように、本件犯行の動機は了解できるものであり、被告人の昭和五五年一一月二九日以後の捜査官に対する各自白調書の内容及び本件犯行の態様、犯行直後の行動等に徴し、被告人が本件犯行当時意識障害を有していたものとは到底認められない(なお、被告人には精神疾患に罹患していた徴候が全く認められないことについては前示山下鑑定書により明らかなところである。)。

(五)  原審における審理について

所論は、被告人は原審において本来的な意味での供述が保障されなかつたので審理の不尽があると主張し、当審弁論においてはその趣旨を敷衍し、原裁判所は、被告人が公訴事実を認めていることに考慮を払わずに、誤つた当事者主義の理解のもとに、具体的詳細な供述を拒否したとの外形にとらわれて、量刑に関する重要な資料(精神鑑定あるいは公判廷における十全な被告人の供述)を収集していないが、そのような審理では、法定刑の範囲が広い殺人罪についての刑の量定を適正に行うことは不可能なはずであるから、それにもかかわらずあえて被告人の全人格の否定である死刑を選択した原審は、量刑事情に関する審理を尽くしていない、と主張する。

そこで、まず記録によつて原審における審理経過を概観すると次のとおり認められる。

1  被告人は、昭和五五年一二月六日、銃砲刀剣類所持等取締法違反、火薬類取締法違反、殺人の罪で起訴され、国選弁護人として、弁護士三津橋彬が選任されたが、昭和五六年一月一四日、被告人の母、兄、姉が被告人の弁護人として弁護士成毛由和を選任したので、前記国選弁護人は解任されたこと、

2  他方、被告人は、昭和五六年二月七日、前記三津橋彬を弁護人として選任し、同年四月四日、弁護士廣谷陸男ほか二八名を弁護人として追加選任し、同年六月一一日には更に二名の弁護士を弁護人として選任し、被告人の選任した弁護人は総勢三二名に及んだこと(前記成毛由和は、同年四月一〇日弁護人を辞任した。)、

3  昭和五六年四月一三日に開かれた第一回公判において、被告人は起訴状記載の公訴事実を全面的に認める旨の陳述をしたが、弁護人は認否を留保した上、「裁判所は事件及び被告人に対する一切の予断を持たないでほしい。」旨の意見を陳述したこと、

4  第五回公判期日(昭和五六年一〇月一日)に公判手続の更新が行われたが、その際にも弁護人は「本件については、被告人が自白しているため、事件に対し予断が生ずるおそれがある。被告人は無罪の推定を受け、そして疑わしいときは被告人の利益に帰せられるという刑事裁判の大原則に基づく裁判が実現されることを切望する。」などという意見を陳述したこと、

5  弁護人は、昭和五七年一月二一日の第八回公判に至るまで本件公訴事実の存否に関する意見の陳述を留保していたが、同期日においてはじめて起訴状記載の公訴事実第一の二、第二(原判示罪となるべき事実一及び二の2)については被告人による犯行と認めるに足る証拠はない、同第一の一(原判示罪となるべき事実二の1)は間違いないが、時期についてはなお意見を留保する旨陳述するに至つたこと、

6  第一一回公判(昭和五七年五月一三日)において、被告人の別れた妻丙野夏子に対する証人尋問が行われ、第一四回公判(同年九月二日)、第二五回公判(昭和五八年一一月四日)、第二六回公判(同月一八日)に被告人質問が行われたのであるが、被告人は、第一四回公判において、大滝村で二二口径の実包を使つて試射した事実は認める旨述べたけれども、甲野太郎の遺留弾丸、薬きようについては、その種の薬きようを見たことはあるが、弾丸については見たことがないなどと述べ、第二五回、第二六回公判においては、公訴事実につき初回公判で「相違ない。」と言つたことは現在も維持する旨述べたものの、犯行の具体的内容、自分の性格などについては一切質問に答えたくない旨述べ、弁護人のみならず、裁判官の全般的かつ細部にわたる詳細な質問にも一切応答を拒み、その理由についても、申し訳ないが答えたくないなどと述べるにとどまつたこと、

7  このような経過で証拠調べを終え、第二七回公判(昭和五八年一二月一六日)に論告、第二八回公判(昭和五九年二月一七日)に弁論及び被告人の最終陳述が行われ、昭和五九年三月二三日に判決が宣告されたこと、右弁論の内容の骨子は、「被告人の殺人罪を証明するに足りる物的証拠はなく、被告人の自白は変転かつ矛盾し、これを信用することは到底できない。よつて、被告人は殺人及び甲野太郎方居宅において、ウエザビーマーク二二型ロングライフル銃一挺及びライフル銃用実包を所持したとの公訴事実については無罪である。大滝村における右ライフル銃一挺及びライフル銃用実包の所持は認め、その時期は争う。」というものであつたこと、

以上のとおり認められる。

以上の審理経過及び状況に徴すると、被告人は、原審公判廷において陳述の機会が十分与えられていたものであり、しかも事件全般について細部にわたる質問がなされたにもかかわらず、その理由を示すことなくあえて詳細な供述を拒否したものであつて、この点について原審が十全な被告人質問をしなかつたとの非難は当たらないと思料する。

また、原裁判所は、前叙の如き状況のもとにおいて、被告人の生育歴、生活環境、生活態度などに関する証拠として、被告人の司法警察員に対する昭和五五年一一月一七日付供述調書(二三枚綴り)、身上調査照会回答書以外に、母親丁野秋子及び別れた妻の母丙野光子の捜査官に対する各供述調書を取り調べたほか、別れた妻丙野夏子を証人として尋問し、これらとその他公判に提出された一切の証拠を総合して、本件犯行の罪質、動機、態様、結果など及びその他広く本件をめぐる情状一般を検討した上で、被告人に対する刑を量定したものであり、原審における量刑に関する証拠の審理が不十分であるとはいえないと思料する。

弁護人は当審弁論において、公判廷で有罪を答弁する被告人には、自己に有利な事情(広義の情状)について供述の場が保障されなければならないところ、被告人が具体的詳細な供述を拒否したのは、各訴訟担当者の思惑に翻弄され、自由な意思決定が行えないまま法廷の「場」において半ば強制されたためである疑いがあつたのであるから、原裁判所は、被告人について、有罪の答弁をしながら具体的な供述を拒む理由を明らかにするとともに、その障害を除去することも困難ではなかつたように思える、と主張するが、被告人が自己に不利益な供述を強要されないことは憲法上の権利であり、刑事訴訟法上、被告人は終始沈黙し、又は、個々の質問に対し供述を拒むことができるのであるから、裁判所が被告人に対し、供述拒否の理由などについて執ように問いただすことを差し控えるべきことは当然である上、被告人がかたくなに供述を拒否している態度に照らせば、被告人に対し、原裁判所が試みた以上の質問を更に繰り返しても、原審で述べた以上の詳細な供述を得ることは到底困難であつたと思われる。しかも、原審弁護人が、裁判所に対し、予断偏見を持たないようにしてほしい旨特に意見を表明するとともに、本件殺人事件について無罪を強く主張してその全般にわたり争つたという審理経過及び状況に徴し、原裁判所が、職権により情状証人、被告人の精神鑑定を採用しなかつたこともやむを得ないところであり、原裁判所に職権による証拠調べの懈怠があるとはいえない。

したがつて、原裁判所が死刑を選択するに当たつて、審理を尽していないとの所論は当たらない。

(六)  原判示「被告人の経歴」、「犯行に至る経緯」の項中に事実にそぐわない点があるとの主張について

弁護人は、当審弁論において、① 原判決は「被告人の経歴」の項において、「被告人がきつねの生皮の仲買を始めた。」と認定しているが、被告人はきつねの生皮の仲買を業としていたものではなく、② 原判決は「犯行に至る経緯」の項において、「被告人が本件ライフル銃を入手したのは、Aから口径〇・二二インチのライフル銃を使用すれば野鳥がとれると聞いたからである。」と認定しているが、被告人は乙野次郎のために本件ライフル銃を入手したのであり、③ 原判決は「犯行に至る経緯」の項において、被告人がBから二回にわたつて本件ライフル銃の適合実包合計約五〇発をもらい受けたと認定しているが、被告人はBから実包をもらつておらず、④ 原判決は「犯行に至る経緯」の項において、「被告人はC商店にきつねの生皮を大量に買い受けてもらえるようになつた。」と認定しているが、C商店からきつねの生皮を大量に欲しいと言われたからであることを看過しており、これらの事実の誤認は、原判決が審理の十全を欠いた明らかな徴憑といい得る、と主張する。

しかし、原審で取り調べた証拠によれば、原判決の認定は、所論の②の点を除いてすべて正当として是認でき、右②の点において、原判決には事実の誤認がないとは断定し得ないが、審理不尽のゆえとはいえず、かつ判決に影響を及ぼすものでもない。

①、④について

被告人の検察官に対する昭和五五年一二月四日付供述調書第一四項によれば、「被告人は、昭和五〇年暮か昭和五一年春にD毛皮店からきつねの毛皮を集めてくれと頼まれ、この話に乗つて毛皮をどんどん集めたが、昭和五二年暮になるとDの景気が悪くなり、大量の売れ残りが出たのでその処分に困り、E産業のFからG毛皮店を、同店からC商店を順次紹介され、昭和五三年一月にC商店へ毛皮を持つて行つたところ非常に好評で一〇〇枚単位で毛皮を集めてくれ、いくらでも買う、代金は現金で払うから今年からでもすぐに集めてくれと言われ、そのころから、一生懸命集めた。」旨供述しており、右供述によれば、原判決が被告人が昭和五〇年暮ないし同五一年春ころからきつねの生皮の仲買を始め、昭和五三年一月ころからC商店を知り、同店に大量に買い受けてもらえるようになつた旨認定していることは当裁判所としても是認できる。被告人は当審主任弁護人に対する供述調書第五項において、きつねの生皮の仲買に手を出したといわれるのは全く本意ではなく、ほとんど預かつたものであり、商売気を出してのことではない旨供述しているが、原判決も、被告人がきつねの仲買で大きな利益をあげたとまで認定しているわけではなく、右供述も原判決の右認定を左右するものではない。

②について

被告人は、司法警察員に対する昭和五五年一一月一六日付、同月一七日付(二一枚綴り)各供述調書及び検察官に対する同月一六日付供述調書において、被告人がA(司法警察員に対する右各供述調書では「A」と表記されている。)から口径〇・二二インチのライフル銃を使用すれば、野鳥がとれると聞き、Fにその入手方を依頼した旨供述しているところ、検察官に対する同年一二月三日付供述調書第五項においては、本件ライフル銃はFから借りたものであり、その送付を受けた後、乙野次郎から同ライフル銃の銃身をくれないかと言われ、Fにかけあつたところ承知してくれた旨供述している。しかし、同供述に依拠しても、当初から乙野次郎を念頭において、本件ライフル銃を入手したとは認めるに足りない。したがつて、Fが、検察官に対する同年一一月二九日付供述調書の謄本において、被告人から、「私は鳥獣類の生息調査員で一般の人は入れない中島というところにも自由に入れる。ここは鹿が沢山いて、もし二二口径のライフル銃があれば、いくらでもとれるんだ。社長の方で何とか二二口径のライフル銃を手に入れられないか。」と持ち掛けられた旨供述していたことを考慮に入れても原審で取り調べた関係各証拠を総合すれば、原判決の認定はその段階においては、相当であると認められる。

しかし、被告人は、当審主任弁護人に対する供述調書第六項において、「Aから硝酸ストリキニーネでは白鳥や丹頂鶴などの捕獲が思うようにいかないから二二口径のライフル銃が必要だと聞き松崎社長に二二口径ライフル銃を依頼したのではない。Aが欲しがつていたのは二二口径ライフルのマグナム弾であり、被告人がK社長に二二口径ウエザビーのライフルの話をしたのは、乙野次郎のことが念頭にあつたからだ。」との趣旨を供述するに至つたので、右供述を関係各証拠と総合して更に検討すると、被告人が本件ライフル銃を入手したのは、Aからの依頼ではなく、乙野のことが念頭にあつたからであると認定し得る余地があるが、入手後乙野に本件ライフル銃を渡した事跡がない点などに徴し必ずしも判然とせず、仮にこの点に事実に沿わない認定があつたとしても、右は本件ライフル銃入手の縁由にすぎず、判決に影響を及ぼすものではない。

③について

原審証人Bは、「昭和五三年一二月ころ、H銃砲店から、口径〇・二二インチの実包で弾頭部分は鉛弾となつていて薬きようの底にUマークの入つたもの一〇〇発を買い、そのうち合計五〇発を二回に分けて原判示のころ被告人に譲り渡した。右一〇〇発を入手したことに関し、罰金二〇万円に処せられた。」旨証言している。これに対し、被告人は捜査段階から、Bから実包を譲り受けたことはないと否定しているが、被告人の右供述は、右B証言に照らし直ちに信用できず、本件ライフル銃の適合実包合計約五〇発授受に関する原判決の認定を揺がすには至らない。

(七)  まとめ

以上のとおり、原判決には、所論指摘の審理不尽のかしはなく、その他慎重に検討しても原審の審理が十分でなかつたとは認められず、所論は理由がない。

二次に所論は、本件事案の犯情に照らし、原判決の量刑は重過ぎて不当である、と主張する。

そこで、記録を調査し当審における事実取調べの結果を合わせて、原判決の量刑の当否について検討する。

本件は、被告人が甲野太郎方において、当時在宅していた一家四人全員を所携の本件ライフル銃で射殺し、その際、同ライフル銃及びその適合実包一〇発を所持し、また、その約半年前に乙野次郎と共謀の上、同ライフル銃及びその適合実包三発を所持した、という事案であるが、量刑上最も重視しなければならないのはいうまでもなく、右一家四人殺害事件(以下、この頃において単に「本件」というときは、この殺害事件をさす。)である。そこで、以下量刑事情について検討することにする。

まず本件犯行の動機、態様について検討するに、本件は、被告人がかねて冬期に太郎からきつねの生皮を買い付けて東京のC商店に納入していたが、昭和五四年五月、それまでの行き掛かりから、太郎に時期はずれで品質のよくないきつねの生皮を通常価格で押し付けられてしまい、C商店に買取り方を懇請してみたものの、すげなく断られ、その代金一七七万六〇〇〇円の内金五〇万円は、太郎から再三請求された挙句、信用金庫からの借入金でようやく賄つたものの、約定の期限である同年七月一五日までに支払うべき残代金一二七万六〇〇〇円の捻出に窮し、同月一一日ころ、乙野次郎から旅費を借りて上京し、C商店に直接前記毛皮を持ち込んで買取り方を重ねて懇願したが、鞣しあがつた皮を見てから考えると言われて、確約を得られなかつたため、右残代金を工面することはできず、帰途妻の実家に立ち寄つてようやく二〇万円を借り受けたものの他に金策のあてもなく、焦燥苦慮して日を過すうち、七月一五日、一六日太郎から電話で立て続けに厳しい督促を受け、さらに翌一七日には、全額でなくてもよいからすぐ支払うようにと強く要請されるに及び、やむなく手持ちの現金一五、六万円を持参して残代金の猶予を乞おうと腹を決め、翌日訪問する旨約束し、あわせて、かねて同人から狩猟用に頼まれていた本件ライフル銃を持参して貸すこととし、同月一八日夜、原判示の経緯で太郎方を訪れたところ、同日午後一〇時一五分すぎころ、同人方一階居間において、微醺を帯びた太郎から機嫌よく「金はできたかい。」と尋ねられるに及び、期待に応えるだけの金額を持ち合わせていなかつたことから、思わず「できなかつた。」と答えると、同人は態度を豹変し、「七、八十万円すらできなかつたのか。」と高飛車に怒鳴りつけて難詰し、原判示のように、被告人の商売や生活を奪かすようなことをあれこれ申し向けた上、被告人の腕元付近で本件ライフル銃を勢いよく二回程振り回した後、同ライフル銃に装てんされた実包二発を薬室から外に出しながら、更に乱暴しかねない態度を示したため、同人がかねて暴力団と交際があり、悪辣な手段を用いて不法な商売を手広く行つている空恐ろしい人物と思い描いていた被告人は、その剣幕に同人に対する恐怖心が一層募り、同人が操作していた本件ライフル銃の遊底が閉まつて薬室に実包が装てんされていることに気付くや、衝動にかられ、とつさに同人(当時五一歳)を殺害しようと決意し、同人から本件ライフル銃を奪い取つて、同人の妻花子(当時三七歳)、幼児二郎(当時二歳)の目の前で、即座に至近距離から、太郎の頭部を狙撃し、更に、右犯行隠ぺいのため、悲鳴をあげ恐怖に立ちすくんでいた花子、泣き叫んでいた二郎の頭部を狙つて、いずれも至近距離から銃弾を命中させた上、更に二階にいる春子(当時二二歳、太郎の先妻の子)を探して階段をのぼり、逃げようとして背を向けた同女に近付いて、その頭部を至近距離から狙撃して命中させ、いずれもその場付近に倒れるなどして動かなくなつた右四名に対し、更に殺害を確実にすべく、太郎と花子に各二発、春子と二郎に各一発ずつ、頭部等にとどめの銃弾を撃ち込み、右四名をいずれも頭部射創による脳中枢の強力な直接破壊によりその場で即死させて殺害したものであつて、その動機に酌量の余地は乏しく、犯行の態様は極めて残虐、非情であるといわざるを得ない。

この点につき弁護人は、当審弁論において、本件は恐怖感にかられた激情犯としての性質をもつ殺人を契機として始まり、以後の犯行については、犯行を隠ぺいするためなどという合目的的なものではなく、当初の激情に支配された犯行とみるべきであると主張するが、太郎に対する最初の狙撃が激情にかられたものであること、それを契機として以後の犯行がなされたことは所論指摘のとおりであるとしても、被告人は、狙撃に当たつては、既に装てんされていた実包二発を使い切ると、更に順次実包を装てんして、いずれも至近距離から頭部を狙い、とどめの狙撃を加えまでして頭部、顔面に合計一〇発の銃弾を命中させ、四名ともその場で即死させていること、犯行後は、指紋の残りそうな箇所を拭き去り、本件ライフル銃を風呂敷に包み、実包入りの箱や手土産の果物をとりまとめて手に持ち、台所のガスの火を消すなどして犯跡をくらます工作をして現場を退去し、運転してきた自動車を駆つて約一七〇キロメートル離れた自宅まで逃げ帰つていることなどの一連の行動に照らすと、被告人は、太郎を最初狙撃した後、その発覚を恐れて犯行を隠ぺいするため、とつさの判断によるとはいえ、強烈な殺意に基づいて、引続き冷静、沈着、機敏に行動し、確実に一家全員殺害の犯行を敢行して逃げ去つたものとみるべきであつて、所論は当たらない。

次に、犯行の結果につき検討するに、太郎は本件犯行時五一歳で、長年はく製加工、毛皮販売業等を営み、一家を支え、妻とともに平穏な生活を送つていたところ、これから人生の結実期を迎えようとした時期に、はからずも、自分のみならず、最愛の家族三人まで凶弾にたおされ、突如その生命を奪われたものであり、三七歳の花子は、太郎と再婚し、はじめて一子二郎をもうけて、ようやく充実した家庭を築いた矢先に、目の前で夫を射殺され、我が子ともども、助けを求めるいとまもなく、あえない最期をとげたものであり、物心のつかないわずか二歳の二郎は、幾多の春秋に富む幼い命を無残にも凶弾に奪われ、母親に救いを求めるが如くその足元に倒れた姿はまことに痛ましい限りであり、春子は短大を卒業し歯科診療所に勤務する二二歳の未婚の女性で、青春を謳歌しこれから幸せな結婚を迎えようというときに一瞬にして非業の死をとげたのであり、いずれの死もまことに悲惨、無念というのほかはない。

そして、当時札幌に出ていたため難を逃れた長男一郎(当時二〇歳、太郎の先妻の子)は、一夜にして親兄弟全員を失つたものであつて、その悲嘆憤激の心情は察するに余りがある。同人は、犯人を八つ裂きにしてもあき足りない心中を吐露して厳罰を望んでいるが、遺族の心情として無理からぬところであると思われる。

また北海道の平和な田舎で突然発生した本件凶悪事件は犯人が検挙されるまで約一年四か月を要し、地域住民に与えた不安も軽視できない。

もつとも本件では、被告人にとつて有利に考慮すべき情状もないではない。前叙のごとき太郎の強引な取引態度に加えて、被告人が債務の支払いを怠つたとはいえ、居丈高な態度が被告人の犯行を誘発した面があり、この点で太郎にも落度がないとはいえないこと、被告人の本件犯行に事前の計画性は認められないこと、被告人は本件犯行に至るまでは定職を持ち、社会人としてまた一家の支柱として大過なく人生を送つてきたものであり、所論指摘のように、少年時から野鳥の生態に興味を持ち、知識が豊富であつて、一時期は北海道から鳥獣保護員を委嘱されたり、町民のキジ養殖事業の相談にあずかるなどその面で地域社会に貢献した点もあること、また本件犯行に至るまで前科は全くなく、本件犯行後、道路交通法違反の罪で二回罰金刑に処せられたにすぎないこと、本件犯行後、罪証隠滅工作を行い、他人の目からは、事件前と変りなく、平然と生活しているように受けとられていたものの、内心においては、自責の念から強い自己嫌悪にさいなまれ苦悩の日々を送つていたことがうかがわれること、捜査、公判を通じ、悔悟の念を次第に深め、姉の手引きで宗教に関心を持つようになり、昭和六〇年夏ころからはキリスト教を信仰するようになつていること、その他被告人に有利な一切の事情を考慮し、更に弁護人が詳細に論述する諸点を検討しても、死刑が人間の生命を永遠に奪い去る極刑であり、まことにやむを得ない場合における窮極の刑罰であつて、その適用が慎重に行われなければならないことはいうまでもないが、幼児を含む尊い四人の生命を一挙に殺害した本件の罪質、結果の重大性、その動機、態様ことに殺害の手段方法の残虐性、遺族の被害感情、社会的影響等にかんがみると、被告人の刑事責任は余りにも重大であつて、被告人を死刑に処した原判決の量刑はまことにやむを得ないものというほかなく、論旨は理由がない。

(原審弁護人田中宏は、控訴申立書中において、(一) 原裁判所は、判決言渡の際、「法令の適用」を示さなかつたので、原判決には判決に影響を及ぼすことが明らかな訴訟手続の法令違反がある旨、及び(二) 原判決には判決に影響を及ぼすことが明らかな事実の誤認がある旨主張するが、(一)については、原裁判所が判決言渡に当たつて適用すべき法令を告げなかつたと認めるべき証拠資料を見出し難いので所論はその前提を欠き、(二)については、控訴の理由を具体的に明示しないから不適法である(刑事訴訟規則二四〇条)。

なお、原判決第四法令の適用中、原判示罪となるべき事実二の1の所為につき、刑法六〇条の適用を脱落させた誤りがあるが、判決に影響を及ぼすとはいえない。)

よつて、刑事訴訟法三九六条により本件控訴を棄却することとし、当審における訴訟費用を負担させないことについて刑事訴訟法一八一条一項但書を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官水谷富茂人 裁判官髙木俊夫 裁判官肥留間健一)

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